
今年も8月がやってきました。昔は真夏日や熱帯夜はそう多くはなかったのに、近頃は連日真夏日が続くことも珍しくなくなりました。いちごメイトのみなさんは、暑さに負けないで、毎日頑張っていますか?
夜もエアコンを入れて寝ているという人が多いから、暑くて寝苦しいと感じている人は案外少ないのかもしれません。
そういえば、あの日も暑い日でした。
王さまがあの日というのは、80年前の7月6日の夜から7日未明にかけて、王さまが住んでいた甲府が第二次世界大戦で空襲を受けた日のことです。
1945年7月6日。王さまは当時18歳で群馬県の桐生高等工業学校(現在の群馬大学)の1年生。その日は寮に入るための準備で、山梨県甲府市の実家に帰省していました。夕食を終えて、夜10時を過ぎた頃、窓一面が真っ赤に染まり、恐ろしい爆音が響き渡りました。外を見ると、爆撃機ボーイング29型機(B29)が甲府の町に焼夷弾をどんどん落とし始めていました。焼夷弾というのは、B29が落とす大きな爆弾で、空中で数個の火の玉に分かれて、落下地点に火をつけて燃やして火事を起こすのです。
王さまはあちこちで燃え上がる炎の中、妹を負ぶって、降ってくる火の粉を避けながら走り続けました。どうしても熱さに耐えられなくなると、ドブ川(汚水が流れる臭い川)に入りながら逃げましたが、その水もすでに熱くなっていました。途中で、焼夷弾が当たって焼け死んだ人や、赤ちゃんを守ろうと貯水槽に覆いかぶさって背中が焼けただれて死んでいる女の人を見ました。恐ろしい地獄のような光景でした。
この空襲で甲府の町は70%以上が焼失、1127人が犠牲になりました。甲府の中心地は全滅して、王さまの実家も焼けてなくなりました。
その約1か月後の8月15日に終戦。日本は戦争に負けました。
王さまはまわりの大人たちに聞きました。「どうして何も悪いことをしていないのに爆弾を落とされて多くの人が殺されなければならなかったのか?」誰に聞いても「戦争だから仕方がない」と言うばかりでした。
王さまは戦争体験を通じて、平和の大切さを身をもって知り、どうしたら戦争のない平和な世界が作れるだろうか?と考え続けました。そして、それには「みんなが仲良くすることが大切だ。みんなが仲良くなるための仕事をしよう!」という考えに辿り着きました。そのために勤めていた山梨の県庁を辞めて、1960年にサンリオ(前身は山梨シルクセンター)を創りました。
会社が軌道に乗り始めた1975年にいちご新聞を創刊してから、50年間、このいちごの王さまからのメッセージで、みんなに“なかよくすることの大切さ”について書いてきました。
王さまは戦争を体験してから、「あんな悲惨でつらいことはもう二度と繰り返してはいけない。みんなが仲良くなるにはどうしたらいいだろう?」ということばかり考えてきました。お誕生日や記念日、または何かしてもらった時のお礼に、相手の負担にならない程度の小さなギフトを贈ることで仲良しのきっかけができるのではないだろうか?それにはかわいいものがよいのではないだろうか?みんながかわいいと思うものはどんなものだろう?ギフトにはカードをつけたほうがより思いが伝わって、もっと仲良くなれるのではないだろうか?仲良しの人と夢のような場所で楽しい時間を共有することで、もっともっと絆を深められるのではないだろうか?
そんな考えで、キャラクターを考えたり、商品を企画したり、グリーティングカードを作ったり、ピューロランド、ハーモニーランドを作ったりしました。
このように、ずっと「みんななかよく」のことばかり考えていたからでしょうか?いちご新聞創刊50年目にして、「みんななかよく」の歌がすっと出来上がりました。まわりの人たちに聴いてもらって、一緒に歌ってみました。その歌を今月号の平和のページに掲載します。王さまが願いを込めて作った歌です。ぜひ聴いてみて、みんなも歌ってくれたら嬉しいです。
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