2026/07/10

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いちご新聞8月号|いちごの王さまからのメッセージ

―『みんななかよく』の世界を作る―
そのために作ったのが「サンリオ」です。

 暑い毎日が続いていますね。みなさん、暑さ対策をしながら元気に頑張っていますか?
 王さまが子どもの頃は、夏というと海水浴が楽しみでしたが、今は砂浜が暑すぎて海水浴に出かける人が減っているというニュースを耳にしました。夏のレジャーも暑さのせいで変わってきているんですね。

 

 王さまにとって、8月は戦争の記憶と直結しています。
 王さまが毎年8月号のいちご新聞に自分の戦争体験を書くようになったのは2019年以降です。それまでは、あの恐ろしい記憶を人に話すことはほとんどありませんでした。常に心の奥にありましたが、つらすぎて話すことが出来なかったのです。

 

 81年前の1945年7月6日。王さまは18歳で群馬県の桐生高等工業学校(現在の群馬大学)の1年生でした。その日は寮に入る準備をするために山梨県甲府市の実家に帰省していました。夕食後、夜10時を過ぎた頃、空襲警報が鳴りました。いつものことだったので、その日も何事も起きないだろうと思っていたら、急に窓一面が真っ赤になって、次の瞬間、恐ろしい爆音が響き渡りました。慌てて外を見ると、爆撃機ボーイング29型機(B29)が焼夷弾をどんどん落としていました。焼夷弾というのは、B29が投下する大きな球で、空中で中から数個の火塊が飛び出し、落下地点に火をつけて、街を焼き尽くすのです。
 王さまはあちこちで炎が燃え上がる中、妹を負ぶって、降ってくる火の粉を避けながら走り続けました。途中で熱さに耐えられなくなると、ドブ川(汚水が流れる臭い川)に浸かりました。ドブ川の水も熱くなっていて、まわりには火傷を負った人であふれていました。逃げる途中、焼夷弾が直撃して焼け死んだ人や、赤ちゃんを守ろうと貯水槽に覆いかぶさって背中が焼けただれて死んでいる女の人を見ました。地獄としか思えない恐ろしい光景でした。
 この空襲で甲府の町は70%以上が焼失、1127人が亡くなりました。王さまは命は助かりましたが、実家は焼けてなくなってしまいました。
 その約1か月後、8月15日に終戦となり、日本は戦争に負けました。

 

 ―もう二度とあんな悲惨な戦争は起こってほしくない。そのために『みんななかよく』の世界を作るんだ―
王さまはそう強く思いながら、サンリオを創業して、その会社を育てることに力を注ぎました。『みんななかよく』という理念が多くの人に届き、みんながちょっとした時にかわいいプレゼントを贈りあったり、カードで気持ちを伝えあったりするようになっていき、王さまはそのことをとてもうれしく思っていました。

 

 気が付くと、戦争から長い月日が経ち、戦争を体験した人がどんどん少なくなっていました。王さまが、どうして『みんななかよく』の会社を作ろうと思ったのか?をみんなに話すことも、王さまの役目ではないかと考えるようになりました。そのために、心の奥にしまっていた戦争のことをみんなに伝えようと決心して、それ以来、王さまは8月号に自分の戦争体験を書いています。

 

 8月号に書き続けてきた戦争体験のことを、山梨いちごの王さまミュージアムでは映像でも残すことにしました。戦後81年、王さまはこれからもずっと『みんななかよく』を伝え続けていきたいと思っています。

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