
みなさん、元気に頑張っていますか?王さまは、日々少しずつ夕暮れの時間が早まってきたことに秋の訪れを感じています。
春と秋は同じように過ごしやすい季節ですが、夏に向かう春と違って、冬に向かう秋はもの悲しい気持ちになりますね。
秋は木々が紅葉し、月の美しい季節ですが、その中で寂寥感を感じてきた日本人の感性は古くから変わっていないようです。有名な俳人が残した秋の俳句を一緒に読んでみましょう。
「秋深き 隣は何をする人ぞ」 松尾芭蕉(1644~1694)
秋がすっかり深まって、あたりは静か。その静けさの中、何となく寂しさを感じ、隣の家の人は何をしてるのだろう?と気になることを詠んだ句。
「名月を とってくれろと 泣く子かな」 小林一茶(1763~1828)
中秋の名月を子どもと一緒に見上げていると、「あのきれいなお月様が欲しい。取ってちょうだい」と言いながら泣く子供の無邪気な可愛らしさとあたたかな親心を詠んだ句。
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 正岡子規(1867~1902)
正岡子規が奈良を訪れて、法隆寺の境内の茶店で柿を食べながら休んでいた時に法隆寺の鐘の音が聞こえてきた情景を詠み、秋の夕暮れの静けさと歴史ある寺の趣を詠んだ句。明治28年10月に作られたことが分かっている。
俳句は、五・七・五の17音で情景や心情を表現する定型短詩で、季語という季節を表す語を入れるという決まりはありますが、だれでも自由に作ることができます。
短歌は俳句よりもう少し長くて、五・七・五・七・七の31音の詩形です。短歌は古くは和歌と呼ばれ、その歴史は俳句より古く、905年に編纂された『古今和歌集』が現存していますから、時代ごとに多くの人々が、この31音の形を守りながら自分の気持ちを詠み続けてきたということになります。そして今、その俳句や短歌がSNS全盛の現代において、若い人々に流行っているということはとても興味深いことです。
先に挙げた3つの俳句はとても有名で、長年にわたって多くの人に親しまれてきた句です。それは、人々の共感を得て、人々の心に響いたということなのです。最近で言えば、SNSで「いいね!」をするのと同じです。
松尾芭蕉の「隣は何をする人ぞ」の句を読んで、今の都会では、隣に住んでいる人の顔も知らないよってことの方が多いのかもしれませんが、秋という季節に人恋しい気持ちになることは現代人も共感できるからこそ、この句は今も親しまれているのでしょう。
何百年も昔の10月頃に、この3人の有名な俳人たちが、今と同じ方角の月を見上げたり、私たちと同じように柿を食べて詠んだ句に込められた気持ちが17音から伝わってくるなんて、とてもロマンを感じる素敵なことですね。
みなさんも秋をテーマに一句読んでみませんか?
