いちごの王さまからのメッセージ

8月のメッセージ

暑い日が続いていますが、みなさんは元気に頑張っていますか?
毎日毎日、新型コロナウイルスのことを心配しながら過ごす憂鬱な日々が続いていて、『コロナ疲れ』なんて言葉も使われていますが、世界中が今現在もこの病気と戦い続けています。決定的に効く薬が開発されるまでは安心できない状況ですから、みなさんもまだまだ気をつけて過ごしてください。

王さまも新型コロナが日本で発生して以来、3回連続でこのメッセージに新型コロナのことを書いてきましたが、8月号のいちごの王さまのメッセージだけは、今年もどうしても75年前の忘れられないあの日の出来事、1945年、王さまが18歳で高等工業学校(現在の大学)の1年生だった時のことを書かなければなりません。
人間は、どんなに大変な出来事や体験も、年月の経過とともに記憶が薄らいでしまい、「あんなことがあった」と思い出すこと自体を忘れていってしまうものです。
だから、王さまはみなさんにこのことを決して忘れないでもらうために、毎年、伝え続けていかなければならないと思っています。

1945年の夏、日本は第二次世界大戦の真っ只中にありました。
その日は7月7日七夕の日で、王さまは群馬県桐生市の学校に行っていたのですが、ちょうど故郷の甲府に帰省していました。夜10時を過ぎた頃、夕食を終えて自分の部屋へ行って勉強しようと思った時のことです。東側の窓が一面、真っ赤に染まり、恐ろしい爆音が響き渡り、爆撃機ボーイング29型機(B29)が大量の焼夷弾を町中に落とし始めたのです。当時の家屋はほとんどが木造だったので、住宅や商店、倉庫に火が付いて燃え広がり、あちこちから大きな炎が上がる中、王さまは小さな妹を背負って、一晩中逃げ回りました。焼夷弾が放つ火の粉の熱さに耐えられなくなると、ドブ川と呼んでいた汚水が流れる臭い川に入りながら、逃げ続けました。
途中で、貯水槽に覆いかぶさって焼け死んでいる女の人の横を通りかかりました。近くの人が、その女の人を抱き起こそうとしたら、女の人の下に赤ちゃんの姿が見えましたが、その赤ちゃんもすでに息絶えていました。
王さまは妹を負ぶって逃げながら、どうして、何も悪いことをしていない善良な市民がごく普通の暮らしをしている甲府に爆弾が落とされなければならないのか? なぜ、子供や赤ちゃんまで殺されなければならないのか?と考え続けていました。
その場にいた多くの人が絶望しながら「戦争なんだから仕方ない」と言っていました。でも、王さまはこんな恐ろしい戦争は絶対にあってはならない、と強く思いました。

夜が明けると、火は煙だけになっていましたが、甲府の町の約70%が燃えて、甲府の中心地にあった私の家を含め、すべて焼け落ちていました。
その日から約1か月後の8月15日、日本は降伏して終戦となりました。

75年が経った今でも、この時の恐怖が王さまの頭から離れることはありません。
本当は世界中の人たちにこのことを知ってほしいのだけれど、王さまの声が届くいちごメイトのみなさんに、このいちご新聞を通して伝えることは、王さまの役目であると思っています。
『戦争は絶対にいけない。どんな時も暴力で争うのではなく、話し合いで解決しなければ平和はやってこない』ということをどうか、分かってください。
王さまは8月になると、必ず、この体験をいちご新聞に書いています。
みんなが仲良く、助け合って生きていける世界は、一人一人がちょっとした思いやりを相手に示すことから始まります。お誕生日や親切にしてもらった時に、小さな贈り物にカードを添えて贈ることで、仲良しの輪が広がり、ゆくゆくは世界中が仲良くなること、それが世界平和に繋がることを王さまは心から願っています。

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