いちご新聞8月号|いちごの王さまからのメッセージ
ひとりひとりの『みんななかよく』が、いずれ世界の平和へつながっていくと王さまは信じています。
今年も8月号のいちごの王さまからのメッセージを書く時がやってきましたが、王さまは、とても重苦しい気持ちでペンを握っています。
「世界は平和から遠ざかっている」世界中の人々が今、そう考えているのではないでしょうか?
毎年8月号のいちご新聞で王さまの戦争体験、平和へのメッセージをずっと書き続けてきたことも虚しく、ニュースでは連日、人命が失われ、街が破壊される恐ろしい戦いが終わる気配を見せないことを報じています。しかも、どんどん世界中を巻き込んでいるようで、武力しか通用しない争いが21世紀になっても起こり続けていることに、王さまは心の底から悲しくてたまりません。
世界唯一の核被爆国である日本で行われた今年5月のG7サミットでは、各国のトップが広島の原爆記念館を訪れる場面がありました。核によって引き起こされる悲惨さを世界中みんなが認識して、今起こっている争いがエスカレートしないように、核が使われることがないように共に考えていかなければなりません。国と国とは地球上のメンバー同士で、運命共同体なのですから。
今年も王さまの戦争体験をお話しします。読んだことがある人も、もう一度読んで、戦争についてしっかり考える機会にしてほしいと思います。
王さまが18歳の時に甲府で空襲にあった第二次世界大戦から、今年で78年になります。あの日のことは78年経った今も頭を離れることはありません。
1945年7月7日、王さまは群馬県桐生市の学校から、故郷の山梨県甲府市に帰省していました。お友だちの家でさくらんぼをもらって家に帰り、夕食の片づけが終わってそろそろ休もうかと思った時です。東側の窓が一面真っ赤に染まり、恐ろしい爆音が響き渡りました。それは爆撃機ボーイング29型機(B29)の音で、大量の焼夷弾をその機体から次々と甲府の町に落とし始めたのでした。当時の建物はほとんどが木造でしたから、すぐに火がついて燃え広がり、あちこちから大きな炎が上がりました。
目の前で燃え上がる炎の中、王さまは妹を負ぶって逃げ出しました。焼夷弾が放つ火の粉の熱さに耐えられなくなると、汚水が流れる臭い川(ドブ川)に入りました。ドブ川は火傷をした人でいっぱいでした。逃げている途中で、貯水槽に覆いかぶさって死んでいる女の人を見ました。通りかかった男の人が、背中が焼けただれているその女の人を抱き起そうとしたら、女の人は赤ちゃんを抱えていて、赤ちゃんも死んでいました。
戦争は悲劇です。今、争いが起きている国だって、市民は何も悪くないのです。それなのにミサイルで街を攻撃され、家まで破壊され、犠牲になるのはいつも市民たちです。
「戦争だから仕方がない」78年前に、王さまの周りの大人たちは王さまにそう言いました。
甲府の町は、ひと晩の空襲で市全体の70%が焼失しました。王さまの実家も燃えてしまいました。そして、翌月8月15日に日本は降伏して終戦を迎えたのです。
終戦後は何もかもを失い、生き延びることに必死でした。ただ、王さまの心には「戦争は絶対にいけない。人間同士が殺し合いをする戦争をなくすにはどうすればいいのか?」という問いが生まれていました。
その答えは、いちごメイトのみなさんは知っていますね。そう、『みんななかよく』です。
ひとりのいちごメイトがお友だちとなかよくすることが、いずれ大きななかよしの輪になって、世界中がなかよく=世界平和になると、王さまは信じているのです。